解説

◎規模

神泉苑は、平安京(大内裏)の南東隣りに位置し、
八町の規模を有する苑池であり、禁苑とされています。

苑内には、大池、泉、小川、小山、森林などの自然を取り込んだ大規模な庭園が造られており、
敷地の北部には乾臨閣を主殿とし、
右閣、左閣、西釣台、東釣台、滝殿、後殿などを伴う宏壮な宮殿が営まれていました。

地下鉄東西線建設に伴う発掘調査によって、
大池の北岸、泉から池に流れ込む小川(遣水)など庭園の北部を検出しています。
小川河口のすぐ西側の池の北岸には、長さ約4mを測る厚い板材が設置されており、
船着き場の足場板と見られます。
ここでは、船着き場の足場板を検出状況に即して復元展示しています。
平安時代初頭頃には、苑池での管弦の宴などに用いられた竜頭鷁首の舟などが着き、
貴族たちが南庭へと下り立ったものと想像されます。

◎祈雨

天長2年(824)淳和天皇の勅命により
弘法大師空海は神泉苑の池畔にて祈られ
北印度の無熱池の善女龍王を勧請(呼び寄せられ)された。
日本国中、雨が降り、人民が大いに喜んだ。
これ以降神泉苑の池には善女龍王がお住みになるという。

◎祇園祭と神泉苑

貞観5年には疫病が大いに流行り、神泉苑にて
多くの御霊を鎮めるため御霊会が行われた。
全国の国の数、66本の鉾を立てて、
神泉苑の池にくりこみ、厄払いをした。
後世には、これが町衆の祭典として、
鉾に車を付け、飾りを施して
京の都を練り歩く、祇園祭へとなる。

◎五位鷺(ごいさぎ)

醍醐天皇が神泉苑に行幸になったときに
鷺が羽を休めていた。
帝は召使いにあれを捕らえて参れと仰せられた。
召使いが近づくと鷺は飛び立とうとした。
召使いが「帝の御意なるぞ」と呼びかけると
鷺は地にひれ伏した。
帝は大いに喜ばれ、鷺に「五位」の位を賜った。
以降、鷺は「五位鷺」と呼ばれ、
謡曲にも謡われるようになる。

◎神泉苑の詳しい解説書は
寺務所にございます。
(一部150円)


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